北风を背になし、枯草白き砂山の崕(がけ)に腰かけ、足なげいだして、伊豆连山のかなたに沈む夕日の薄き光を见送りつ、冲(おき)より帰る父の舟(ふね)遅(おそ)しとまつ逗子(ずし)あたりの童(わらべ)の心、その淋(さび)しさ、うら悲しさは如何あるべき。
御最后川の岸辺に茂る苇(あし)の枯れて、吹く潮风に騒ぐ、その根かたには夜半(よわ)の満汐(みちしお)に人知れず结びし氷、ゥの退潮(ひきしお)に破られて残り、ひねもす解けもえせず、夕暗に白き线を水(み)ぎわに引く。もし旅人、疲れし足をこのほとりに停(と)めしとき、何心(なにごころ)なく见廻わして、何らの感もなく行过ぎうべきか。见かえればかしこなるは哀れを今も、七百年の后にひく六代御前(ろくだいごぜん)の杜(もり)なり。木(こ)がらしその梢(こずえ)に鸣りつ。
落叶を浮かべて、ゆるやかに流るるこの沼川(ぬまかわ)を、漕(こ)ぎ上(のぼ)る舟、知らずいずれの时か心地(ここち)よき追分(おいわけ)の节(ふし)おもしろくこの舟より响きわたりて霜夜の前ぶれをか为(な)しつる。あらず、あらず、ただ见るいつもいつも、物いわぬ、笑わざる、歌わざる汉子(おのこ)の、农夫とも渔人とも见分けがたきが淋しげに橹(ろ)あやつるのみ。
この时、一人の童たちまち叫びていいけるは、见よや、见よや、伊豆の山の火はや见えそめたり、いかなればわれらが火は燃えざるぞと。童らは斉(ひと)しく立ちあがりて冲の方(かた)をうちまもりぬ。げに相模湾(さがみわん)を隔(へだ)てて、一点二点の火、鬼火(おにび)かと怪しまるるばかり、明灭し、动揺せり。これまさしく伊豆の山人(やまびと)、野火を放ちしなり。冬の旅人の日暮れて途(みち)远きを思う时、遥(はる)かに望みて泣くはげにこの火なり。
伊豆の山燃ゆ、伊豆の山燃ゆと、童ら节(ふし)おもしろく呗い、冲の方のみ见やりて手を拍(う)ち、跃(おど)り狂えり。あわれこの罪なき声、かわたれ时の淋びしき浜に响きわたりぬ。私语(ささや)くごとき波音、入江の南の端より白き线(すじ)立(た)て、走りきたり、これに和(わ)したり。潮は満ちそめぬ。
この寒き日暮にいつまでか浜に游ぶぞと呼ぶ声、砂山のかなたより闻こえぬ。童の心は伊豆の火の方にのみ驰(は)せて、この声を闻くものなかりき。帰らずや、帰らずやと二声三声、引続きて闻こえけるに、一人の幼なき児(こ)、闻きつけて、母呼びたまえり、もはやうち舍て帰らんといい、たちまちかなたに走りゆけば、残りの童らまた、さなり、さなりと叫びつ、竞うて砂山に駈けのぼりぬ。
火の燃えつかざるを口惜(くやし)く思い、かの年かさなる童のみは、后(あと)振りかえりつつ驰せゆきけるが、砂山の顶(いただき)に立ちて、まさにかなたに走り下らんとする时、今ひとたび振向きぬ。ちらと眼(まなこ)を射(い)たるは火なり。こはいかに、われらの火燃えつきぬと叫べば、童ら惊ろき怪しみ、たち返えりて砂山の顶に集まり、一列に并びてこなたを见下ろしぬ。
げに今まで燃えつかざりし拾木(ひろいぎ)の、たちまち风に诱われて火を起こし、浓き烟うずまき上(のぼ)り、红(くれない)の炎の舌见えつ隠れつす。竹の节の裂(わ)るる音闻こえ火の子舞い立ちぬ。火はまさしく燃えつきたり。されど童らはもはやこの火に还(かえ)ることをせず、ただ喜ばしげに手を拍ち、高く歓声を放ちて、いっせいに砂山の麓(ふもと)なる家路のほうへ驰(は)せ下りけり。
今は海暮れ浜も暮れぬ。冬の淋しき夜となりぬ。この淋しき逗子の浜に、主(あるじ)なき火はさびしく燃えつ。
たちまち见る、水ぎわをたどりて、火の方(かた)へと近づきくる黒き影あり。こは年老いたる旅人なり。彼は今しも御最后川を渡りて浜に出(い)で、浜づたいに小坪街道へと志(こころざ)しぬるなり。火を目がけて小走りに歩むその足音重し。
嗄(しわが)れし声にて、よき火やとかすかに叫びつ、杖なげ舍てていそがしく背の小包を下ろし、両(りょう)の手をまず炎の上にかざしぬ。その手は震い、その膝(ひざ)はわななきたり。げに寒き夜かな、いう歯の根も合わぬがごとし。炎は赤くその颜を照らしぬ。皱(しわ)の深さよ。眼(まなこ)いたく凹(くぼ)み、その光は浊りて钝(にぶ)し。
头髪も髯(ひげ)も胡麻白(ごまじろ)にて尘(ちり)にまみれ、鼻の先のみ赤く、頬(ほお)は土色せり。哀れいずくの谁ぞや、指(さ)してゆくさきはいずくぞ、行卫(ゆくえ)定めぬ旅なるかも。
げに寒き夜かな。独(ひと)りごちし时、総身(そうしん)を心ありげに震いぬ。かくて温まりし掌もて心地よげに颜を摩(す)りたり。いたく古びてところどころ古绵(ふるわた)の现われし衣の、火に近き裾(すそ)のあたりより汤気を放つは、朝の雨に霑(うるお)いて、なお乾(ほ)すことだに得ざりしなるべし。
あな心地よき火や。いいつつ投げやりし杖を拾いて、これを力に片足を扬げ火の上にかざしぬ。脚绊(きゃはん)も足袋(たび)も、绀の色あせ、のみならず血色(ちいろ)なき小指现われぬ。一声(いっせい)高く竹の裂(わ)るる音して、势いよく燃え上がりし炎は足を焦がさんとす、されど翁(おきな)は足を引かざりき。
げに心地よき火や、たが燃やしつる火ぞ、かたじけなし。いいさして足を替(か)えつ。十とせの昔、楽しき炉(いろり)见舍てぬるよりこのかた、いまだこのようなるうれしき火に遇(あ)わざりき。いいつつ火の奥を见つむる目(ま)なざしは远きものを眺むるごとし。火の奥には过ぎし昔の炉(いろり)の火、昔のままに描かれやしつらん。鲜やかに现わるるものは児にや孙にや。
昔の火は楽しく、今の火は悲し、あらず、あらず、昔は昔、今は今、心地よきこの火や。いう声は震いぬ。荒ら荒らしく杖を投げやりつ。火を背になし、冲の方(かた)を前にして立ち体(たい)をそらせ、両の拳(こぶし)もて腰をたたきたり。仰ぎ见る大ぞら、晴に晴れて、黒澄(くろす)み、星河(せいか)霜(しも)をつつみて、远く伊豆の岬角(こうかく)に垂れたり。
身うち暖(あたた)かくなりまさりゆき、ひじたる衣の裾(すそ)も袖(そで)も乾きぬ。ああこの火、谁(た)が燃やしつる火ぞ、谁(た)がためにとて、谁(たれ)が燃やしつるぞ。今や翁の心は感谢の情にみたされつ、老の眼(まなこ)は涙ぐみたり。风なく波なく、さしくる潮(うしお)の、しみじみと砂を浸(ひた)す音を翁は眼(まなこ)闭じて聴きぬ。さすらう旅の忧(うき)もこの刹那(せつな)にや忘れはてけん、翁が心、今ひとたび童の昔にかえりぬ。
あわれこの火、ようように消えなんとす。竹も燃えつき、板も燃えつきぬ。かの太き丸太のみはなおよく燃えたり。されど翁はもはやこれを惜(お)しとも思わざりき。ただ立去りぎわに名残惜しくてや、両手もて轮をつくり、抱(いだ)くように胸のあたりまで火の上にかざしつ、眼しばだたきてありしが、いざとばかり腰うちのばし、二足三足(ふたあしみあし)ゆかんとして立ちかえれり、燃えのこりたる木の端々(はしばし)を掻集(かきあつ)めて火に加えつ、势いよく燃え上がるを见て心地よげにうち笑みぬ。