他用日语回答了,我职能用汉语了。
1月1日 元旦 是新的一年中最初的一天,也是祈求在新的一年能幸运、幸福,和拟定这一年的计划的日子,这一天也到神社或附近的寺庙去做第一次的参拜。
1月15日 成人节 是庆祝年满20岁的青年男女成人自立的节日,有各市、镇、村的行政机关举行成人仪式的典礼。
2月11日 建国
纪念日 根据日本最早的一部史书《日本书纪》中的记载,这一天是为了要追忆当初建国不易,以及培养爱国情操,而以此为宗旨,于1966年追加的。在日本国内,目前仍有人反对所谓的"建国纪念日"。
3月21日 春分之日 即"春之彼岸"的中心日。是扫墓、祭拜祖先的日子。
5月3日 宪法纪念日 是为了纪念1947年5月3日的现行宪法制定之日。
5月5日 孩童节 本来是庆祝男孩的端午节,庆祝小孩成长,祈求幸福之日。
9月15日 敬老日 以尊敬老人、感谢老人为宗旨,在1966年补制的节日。
9月23日 秋分日 为秋之彼岸的中心日。和春分一样,要扫墓及祭拜祖先灵位。
10月10日 体育节 纪念1964年在东京举行的奥林匹克运动会开幕式的日子。这是接近体育、认识健康重要性的日子。1966年补定。
11月3日 文化节 为纪念1946年11月3日颁布日本现行宪法,并以培养尊重文化的意识而制定的节日。
11月23日 劳动感谢日 此时正值收获的季节。为了表示对收获的谢意,重新广泛认识劳动的喜悦,而以此制定了以感谢劳动为宗旨的节日。
12月23日 国庆日
3-4月 樱花节
现在日本法定的一共有15个。
日本の祝日
现在の日本の公定休日は15日あります。その基本は太平洋戦争后の昭和23年7月20日に公布、施行された「国民の祝日に関する法律」(略して祝日法)です。 昭和41年には建国记念の日、敬老の日、体育の日が追加されました。平成になると、それまでの天皇诞生日がみどりの日に、皇太子诞生日が天皇诞生日になり、平成8年には海の日が加えられました。こうした祝日の趣旨、由来をみてみましょう。
1月1日 元日
「年の初めを祝う」
日本の古来のお正月は新年を迎えるとともに、年神様や祖先の霊を迎える霊(タマ)祭りの行事でした。やがて仏教の普及により、祖霊を迎えるお祭りは夏のお盆や春秋のお彼岸などが盛んになり、お正月は年神様や氏神・产土神のお祭りとなりました。
1月第2月曜日 成人の日
「大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます」
阴暦の正月15日は、新年最初の満月の顷で、各地で豊作を愿い、また悪霊を払うドンド焼きなどの行事が行われました。新暦の1月15日を成人の日とし、年の初めに人としての豊かな成长を祈る思いが込められています。 平成10年の祝日法の改変により、平成12年より1月第2月曜日と定められました。
2月11日 建国记念の日
「建国をしのび、国を爱する心を养う」
わが国最古の歴史书「古事记」、「日本书纪」(记纪)による人代の最初の天皇、神武天皇即位の日です。 神武天皇は九州より东征して5年目に大和に入り、その3年后の「辛酉年の春正月、庚辰の朔(ツイタチ)に、天皇、帝位(アマツヒツギ)を橿原宫に即(シロシメ)す」にいたったとされます。この日付を现在の暦に変换すると2月11日となります。 西暦纪元前660年のこのときを元年とする年の数え方を神武天皇即位纪元、あるいは皇纪といいます。
3月21日顷 春分の日
「自然をたたえ、生物をいつくしむ」
日本の仏教では、平安时代のころから春秋に彼岸会(ヒガンエ)が催され、悟りの彼岸へ至るための法要が営まれました。また浄土思想の広がりとともに、彼岸の中日(チュウニチ)の夕刻、落日に向かって念仏を唱えれば、西方の极楽浄土に往生出来ると信じられました。 しかし祖霊崇拝の思想は仏教にはなく、日本古来の风习が仏教に结びついたと考えられます。明治以来宫中で行われる春秋の皇霊祭は、祖先供养の风习を仏教色をのぞいて宫中行事化したものにほかなりません。 春分・秋分の日の趣旨は、日本本来の自然観に立ち返ったものといえるでしょう。
4月29日 みどりの日
「自然に亲しむとともに、その恩恵に感谢し、豊かな心を育む」
在位64年と歴代最长となった昭和天皇のお诞生日です。 戦争、败戦、复兴、繁栄と未曽有の歴史をたどった昭和の记念日といえるでしょう。新しく祝日法が制定されるとき、明治天皇の诞生日が文化の日として残された例にならっています。
5月3日 宪法记念日
「日本国宪法の施行を记念し、国の成长を期する」
现行の日本国宪法は、昭和21年11月3日に公布されました。これは先の大日本帝国宪法が、明治22年2月11日の纪元节の佳日に公布された先例にならい、明治节の日が选ばれたものといわれます。そうすると宪法记念日は11月3日でもよかったのです。 ところが当时の人々は明治节への爱着が强く、何とか明治天皇ゆかりの日を残そうとしました。そのため宪法记念日は翌22年の施行のこの日となったのです。
5月4日 休日
「前日、および翌日が祝日となる日は休日とする」
昭和60年の暮れ、上のような祝日法の追加条项が加えられました。ところが翌年、翌々年は日曜となったり振替休日となったため、実际この条项が生きて実施されたのは昭和63年の5月4日が最初となりました。そのため暦によってはこの休日が记载されていないものもありました。 ちなみに祝日と日曜日が重なったとき、翌月曜日を休日とする「振替休日制」が公布されたのは昭和48年です。
5月5日 こどもの日
「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感谢する
元来、3月3日と5月5日は、もとの上巳(3月上旬の巳の日)と端午(5月最初の午の日)が3日と5日に固定したものです。正月7日(人日)や7月7日(七夕)、9月9日(重阳)とともに、平安时代顷から五节句とされていました。5月5日は、菖蒲を饰って邪気を払ったのが、尚武や胜负につながり、勇壮な男の子の祝いとされたのです。 なおこの日は「母に感谢する」日でもあります。
7月第3月曜日 海の日
「海の恩恵に感谢するとともに、海洋国家日本の繁栄を愿う」
平成7年に制定された最新の祝日です。この日は明治天皇が东北ご巡幸のあと、青森から船に乗り、函馆を経由して横浜港に着かれた日といわれます。 平成13年の祝日法の改変により、平成15年より7月第3月曜日となる。平成14年までは7月20日
9月第3月曜日 敬老の日
「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬爱し、长寿を祝う」
昭和38年に「老人の日」と制定された9月15日が、昭和41年国民の祝日となりました。来るべき高齢化社会を先取りしたものと评価されています。 平成13年の祝日法の改変により、平成15年より9月第3月曜日となる。平成14年までは9月15日
9月23日顷 秋分の日
「祖先をうやまい、なくなった人をしのぶ」
太阳が天球上を北から南に移る日。 戦前までは「秋季(春季)皇霊祭」と呼ばれました。宫中ではこの日、神武天皇以来の皇室の祖霊を祭る皇霊殿で皇霊祭が行われ、天地・八百万の神々をまつる神殿では神殿祭が执り行われます。多くの日本人もこの顷、祖先の墓参りをします。 春の春分の日とともに、前后3日间を含む1周间を「彼岸」といいます。季节の変わり目で、よく「暑さ寒さも彼岸まで」といわれます。
10月第2月曜日 体育の日
「スポーツに亲しみ、健康な心身をつちかう」
昭和36年制定のスポーツ振兴法に、10月第2土曜日を「スポーツの日」と定めています。秋晴れの候で、昭和39(1964)年の10月10日は东京オリンピックの开会式の日です。2年后の昭和41年、建国记念の日、敬老の日とともに10月10日は体育の日となりました。 平成10年の祝日法の改変により、平成12年より10月第2月曜日と定められました。
11月3日 文化の日
「自由と平和を爱し、文化をすすめる」
明治时代の天长节、昭和になってから明治节と称された明治天皇のお诞生日です。 天长节の名称は奈良时代に初めてみられ、明治3年に复活したもの。趣旨はやや抽象的ですが、この日は新宪法の公布の日にもあたり、前半はそのスローガンである「自由と平和」をとり、后半は明治时代の近代化政策により、飞跃的に社会の生活・文化が発展したことをふまえています。まさに明治と新生日本を记念する日です。
11月23日 勤労感谢の日
「勤労を尊び、生产を祝い、国民がたがいに感谢しあう」
戦前までの新尝祭(ニイナメサイ)です。この日宫中では、その年取れた新米を神に献馔し、その后、神より供されたものとして天皇自らが召し上がられます。新尝祭は本来旧暦の「11月下卯の日」で、新暦では12月下旬前后の冬至に近い顷でした。ところが明治6(1873)年、新たに采用された新暦の、11月の下卯の日であった23日が、以后そのまま固定されて今日に至っています。
12月23日 天皇诞生日
「天皇の诞生を祝う」
昭和64年1月7日、昭和天皇が87歳で崩御されました。同日、皇太子明仁殿下は御年55歳で、神武天皇以来125代目の日本国天皇に即位されました。翌8日には改元が実施され、昭和に変わり「平成」の时代が始まったのです。践祚(センソ)された明仁天皇は、昭和8年12月23日がお诞生日です。 天皇が新しく即位されると、その初めに大尝祭(ダイジョウサイ・オオニエノマツリ)が盛大に执り行われます。このお祭りは新尝祭とよく似ていますが、そのための特别の建物が造られるなど、より神秘的なものとなっています。 なお元号は、现代では日本でのみ行われ、明治からは一世一元となりました。昭和54年、元号法として确定しました。
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