日本语は中国语と文化において似通うけど、日本人と中国人は考えがよく违って、おもしろい。
私と最初に知り合った日本人は日本语を教えてくれた宫本先生です。彼女はもう中国に5年住
んでいて、中国语は本当に上手なんだ。といっても、日本人的な考えで中国语に直ちに訳す感
じが良くしている。前に彼女と话しかける间、「ある男の子、私を映画に诱ってくれた、真面目に
勉强しない学生だから、気に入らないで、また今度って断ったんだ。まさか昨日二度とこちらに
诱ってくれた。いやいやけれどもついに行ったんだ、仕方がないね」って私に言った。「当然で
しょう、先生はまた今度って言ったんだから」私があの时そう思った。长い间日本语を习ってか
ら、今私が分かっている、「また今度」は直接に中国语に訳しては「下次吧」からといって
、日本语で他人に断る场合使う言叶なんだ。日本人は暧昧な人间で、自分の思いはそのま
ま明らかに口にしないということで断るとしても相手に余地を残すというわけだ。中国人は「
またこんど」を闻いて、约束と勘违いにして约束は必ず守るという思いが起きたことは文化の违
いですね。今まで思い出すと笑いがちだ。
山口君は私の友たちの一人だ。ある日私とアンケートを受けた。「仕事のことで、あなた
の同僚のAに助けを求めた。Aは自分の仕事を犠牲にして时间もお金も使って助けてくれた。し
かし结果はあなたの穷状をわずかに救ってくれたに过ぎない。他方、Bにも助けを求めた。B
は电话一本で穷状を助けてくれた。さて、あなたは二人のどちらにより良い恩义を感じるだろ
うか」っていう质问、AとBの中、私、思い切ってBを选んだが、山口君は良くもAを书き留めた
。私にしてみれば恩义に强さはコスと私が得た利益で决まると考えている。间もなくほかの日
本人に世间话をした私偶然にこの事を口に出すたら、案外とAと合意したんだ。どうも日本人は
助けてくれるために多くのコストを支払ったということを重んじで恩义を感じるようである。我々
中国人の结果主义と违って日本人は过程主义である。もしかしてこの訳で勤勉で真面目によ
うになったかもしれません。
日本人にとって中国语の最も难しところは何だってあたってみようか。答えは音调!中国语
は4の音调で外国人にとって覚えにくいということだ。世间话のたびに、私を笑わせないてはい
られないほどの面白さはもう言叶で表せない。外国人の友たちがそばにいればいるほど私が役
に立つことをますます気がついた。ありがとうって言われるとき本当に达成感がある。私も彼らと
一绪だから日本语を著しく高められたんだ。ありがとうね、皆。
100%手打脑译,望采纳,望加分。
高校の面白いこと
今私はもう大学三年生で、大学の生活は半分に过ぎた。でも、高校时代のある面白いことは今まで忘れない。
高校一年生の时、私のベストフレンドは刘东君だ。私达もバスケットボールが大好きで、よく一绪にやっていた。でも、私达のクラス担任はバスケットボールをすることが许さない。だから、私と刘君はこっそりバスケットボールをするしかなかった。でも、如何すればクラス担任を避けることが出来るか。これは问题だ。そこで、毎回バスケットボールをしていた时、私达はずっと周囲を観察して、一旦にクラス担任が出现したら、発见されないように、直ちに地面に倒れた。そして、ずっと倒れたままで、クラス担任は离れてから、、立ち上がてやり続けた。この方法を利用して、私达が捕まえられることが少なくなった。たとえその时の様子を思いを驰せても、面白いと思う。
私の高校学校の风吕场は小さ过ぎて、毎回お风吕に入った时、ただ20平方メトルの空间の风吕屋で、50人以上がいって、十个の蛇口を争って、体に洗った。戦争みたいだった。だから、二、三回に行った後、私と刘君は外の风吕场に入りたい。でも、私达は寄宿生だから、学校を出ることができなかった。そこで、私达は通学生と伪称して、後门(後门の门卫は少ないで、责任感も少なかった。前门に比べて、通学生と伪称し易くて、安全だった。)で出って、外の风吕场に入った。次の1か月は无事だった。でも、ある日、私达は外の风吕场に行って、浴槽で体を洗っていた时、私达のクラス担任は裸のまま、浴槽に入りたい、私と刘君は惊いて呆然とした。クラス担任も私达を発见してから、惊い様子を表した。具合が悪いと思った。クラス担任は私达に注意を与えた。後、私达二人は早く浴槽に出って、草草に洗って、学校に戻った。当日私达は予想どうりに厳重に処罚された。でも、その时クラス担任の裸体の様子は今まで忘れ难い。
二年生の时、私のクラスメート銭君は「校长」というニックネームがあった。ある日、一日の授业は全部终わって、私とクラスメート杨君、蔡君、刘君4人一绪に食堂に行って、御饭を食べたつもりだった。道中で銭君を见てから、一绪に大声で「校长」と呼った。その时に、ちょうど二年级主任は私达の侧で立った。私达の呼った「校长」を聴いた後、直ちに紧张したままに目を廻って、真の校长を探した。私达は彼の面白い様子を见て、我慢できなくて、爆笑してしまった。
高校时代は苦しくて、乏しいといっても、面白いことも多い。今度は先にこの3つのストーリを书いて、机会があるように他のことを皆に分かち合う。
这是我之前写的一篇作文。。里面讲我高中和几个同学的趣事。。已经被我外教老师改过了。。里面我同学名字你可以改下。。
白猫大肥
我的老家坐落在一条大河边,潺潺流水、悠远宁静,在那里有我最亲的家人—我的姥姥还有陪伴她大半生的白猫大肥。每年暑假,我都会去姥姥家度过炎炎的夏日,在清凉的河水边,懒懒的大肥和我跳跃的身影绘成了一道特有的风景线。
大肥到底有多大了呢?这个问题我也说不清,只知道从我记事起大肥已经是姥姥家的固有成员了,只是那时候大肥还不是大肥,还只是一团小雪球。
姥姥家的大白猫被取名为大肥完全是因为它肥硕的体型。大肥特别能吃,而且从不挑食,姥姥吃什么它就吃什么,同时它还特别爱吃,只要是拿着食物引诱它,让它干什么都行。记得我和大肥第一次见面时,大肥是相当不给我面子的,奈何我软硬皆施,也不能接近它,就在我决定中场休息,拿着鱼干大啃特啃之际,大肥突然自己迈着她那优雅的步伐缓步向我走来,并做出更让我大跌眼镜的事来:挨着我的腿一个劲地磨蹭撒娇。最终在姥姥的解释下我才恍然大悟,原来攻克大肥的最佳战术是美食计。于是在美食的引诱下,我和大肥的关系越来越亲密。
这只贪吃又懒散的白猫就是我喜爱的大肥,虽然它不乏一些小缺点,但是这憨憨憨憨中带点可爱的性情却是我的最爱。
(希望能达到你的要求)
bu huei
哇,这种事居然也上网求助的???网络的力量真是大啊。